ぜんぶ嘘

一人恋愛議事録

16.きっと君の名前も忘れてしまう

 私が具体的な恋について知る年頃になったとき、世間はちょうど純愛ブームでそのせいでか知らないけど私も人生にはたったひとつだけ真実の恋があるものだと疑うことすらしなかったような気がする。ご周知のとおり、私はこれが誰にとってもそうであるとは限らないと理解できるようになったのはこの頃の話です。

 もういい加減いい歳なのだ。若いつもりではいけない、かと思いきやお酒が飲めるようになって門限がなくなり、男の人とひんぱんにデートするようになったころから安定した男性の供給を獲得している。二十歳そこそこのときにはもうそろそろ少女ではいられない(笑)みたいな少女性とやらに固執するのが私の周囲では流行ってた(流行ってた)から二十代も後半になればもうおばさんだろうと漠然と思っていたんだけどおかげさまでまだまだ現役でございます。

 

 私がたったひとつの恋とやらに執着していろんな男に入れ込んでくだらない喧嘩ばかりをしたり相手のメンタルを悪化させたりしてダメンズウォーカーとしてバリバリやっていたら、最終的には警察に怒られたのでなんかやばい気がすると思って生きざまを振り返り人に悩みを相談したら、お前みたいなのは適当に男たちにちやほやされてたらいいよって言われたので禁断の名前を付けて保存の恋に踏み切ったわけですが、なんだかまあ不思議なくらい精神が健全な生活を送れているよ。

 そもそも惚れっぽいんだからすぐいろんな人を好きになっちゃうし、好きのハードルが低すぎて「どこかにいい人いないかな〜」が口癖でろくに男女交際もしたことないような女なんかとは多分見えてるものが違う。病気かもしれない。(私が)

 恋愛で男を潰すっていうことはつまり依存なので、適当に不純異性交遊やってたほうがプレイスタイルとしてはしっくりくるということです。精神病院に通院するような人はその人が掲げた”人並み”みたいなものに固執して自分を定型化することを第一の目的にしている人が多い気がしますが、自分がうまく生きられる方法をもう少しお考えになったほうがよろしいのではないでしょうか。

 

 すでに私に結婚を迫ってきた人に恋のはじめの興奮にのぼせるのは子供のすることだ、とか叱られていますが、じゃあ常時セロトニン欠乏性みたいな私をあなたはどれくらい愛してくれるのでしょうか。その人とのデートはあまりに退屈で私のやることなすこと別にどうでもよさそうだったので心底がっかりしました。

 でも別に結婚願望ゼロってわけでもなくて、やっぱりいつかは一人の人と一緒になりたいって思うこともあるんじゃないかと思いますが、というかバカで病気だからそういうことすらすぐ簡単に考えたりできるんですが、この人だって優しいのは最初だけかもしれないとか、またどうせ振り回して呆れられるかもしれないとか考えたら、嵌る沼だけは確実にいつでも私を待っててくれるんですね。